ホントのわたしで生きること Sprkle_with_joy☆

魂の自分=ホントのわたしで生きよう

「陰 IN」でもいいよ 自分のリズムに気づいて

 

こんにちは。 MIHOAです。
今日もお読みいただき、ありがとう!

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

今年の冬至・21日にむけて
日が、どんどん短くなって
夕方もあっという間に暗くなって


しんみり、どんよりして……
いるように感じているのは
わたしだけではないはず。


日中もあまり陽が照らなかったりして
なかなか活動的にはなれなくて
うつうつしたりする気分もあって
そんな自分を責めたりする人も……
いるかもしれない。

 

冬至はつまり
陰陽の「陰」の極みなわけだから、
それも仕方のないことかな〜と思います。


明るく陽気に元気に活動的に
つまり「陽」っていうのが、
これまでの時代に
よしとされてきたものだから


その逆の「陰」というのは、
どうしても嫌われがちで
「陰」な自分は
ダメなものだとしてしまいがちだったけれど


すべてはバランスであって、
「陽」があれば
反対側の「陰」がなければおかしな話で。

 

逆に「陰」があってこそ「陽」があるし、
「陽」ばかりでは破綻するわけですね。


だから、「陽」に見える人というのは
どこかで「陰」の自分を持って
バランスをとっていると思う。


それがなければ、
その人はちょっとしんどいことになって
いるかもしれない。

 


で、「陰」というのは「IN」でもあって。
中ということですね。
自分の中に入るということ。


自分の中に静かに身を潜めるというか。
中にじっとしていること。


内省とか、内観みたいなことでもあるかな。

 

それをすることで、
いろんなことが見えてくる。
今まで気づかなかったことに気づく、
豊かなものだと思う。


それをもって、
次にくる「陽」の時間に
活動していく、生かしていく。

 

明るく元気でないとダメだ
と思ってしまう人も多いと思うけど
(わたしもそうだったけど)


そんなことはないのだ〜! ということに
気づいてほしくてメッセージしました。

 

「陰」でもいいんだよ。
それは短い時間かもしれないし、
少し長い時間になるかもしれないけど、


人それぞれのリズムがあるから、
それでいいんだよ。


人は関係ない。
世の中も関係ない。


自分のリズムは、今どうなのかな?
そのことに気づくことが、大事。

 

うつうつする、
気分が晴れない、
何もやる気が起きない……そんなときは
その気持ち、気分を大切に。


あったかいものでも飲んで
ゆっくりしながら

あ〜 今、
自分「陰 IN」なんだわ〜 って

自分に想いをめぐらせる時間に
してみてほしいなあ。

 

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adegeによるPixabayからの画像

いろんなリズムに合ってくるということは

いろんなリズムが合ってくる。

 

こうしようかな、と思っていたら

タイミングよくその段取りがとれたり、

 

顔が浮かんで、気になっていた人から

連絡がきたり、

 

はじめて会う人に

昔からの共通の知人がいたり、

 

たまたま入ったお店で

欲しかったものが見つかったり、

 

 

それは

宇宙のリズムに合ってきてますよ、のサイン。

 

そして、それは

魂の自分で生きるようになってきてますよ、のサインでもある。

 

 

魂の自分というのは、

宇宙のリズムの中に生きているはずだから。

 

 

今、ここに生きている自分が

宇宙に合ってきているというより、

魂に合ってきている

 

魂の自分に合ってきている

魂の自分の生き方に合ってきている

ということ。

 

 

それは、よろこばしいことだと思う。

 

 

いろんなタイミングが合って

うまく流れてきていると感じることを

ラッキーとか

幸せになれるとか

 

表層でとらえないでほしい。

もっと、深いところに意味がある。

もっと、深いところを見てほしい。

 

 

もっと、深いよろこびに

ふれることができるはずだから。

 

それを知るために、

それを生きるために、

ここにいるはずだから。

生まれてきたはずだから。

 

 

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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

過去の方程式は捨てよう

こんにちは。 MIHOAです。

今日もお読みいただき、ありがとう!

・ ・ ・ ・ ・

 

1+1=2 ではないかもしれない……という説がある。

 

実際、

過去には、長い間、

太陽が地球のまわりを回っているんだという

天動説が信じられてきて

 

地球が動いているっぽいことを発見し、

地動説を説いたガリレオ

非難され、取り下げろと言われた。

たぶん、ひどいあつかいを受けていたでしょうね。

 

だけど、今、

太陽が地球のまわりを回っているんだよ

なんて言う人がいたら。

きっと白い目で見られますよね(笑)

 

でもそれも、

学校で習ったから、どこかで聞いたから、

そうだと思っているだけにすぎない。

 

自分たちのまわりにないことって

確かめようがないことが多い。

確かめようと思わないで受け入れていることも多い。

 

確かめるのは難しそうと

考えることさえ放棄していることも多い。

 

でも、それを続けていると

多数の意見や教え、

強くて大きい声に負けたり、流されていってしまう。

 

 

で。

1+1=2 というのも

学校で習ったし、

普段の生活でもそういう概念で生きていて

当たり前のように思っているけど、

 

本当は、違う可能性もあるよね? ということ。

 

そうかもしれないけど、そうではないかもしれない。

解明はできなくても、

そういう視点や考えを

持っておくことは大事なんじゃないかなと思う。

 

 

つまり、本当のところ

何が正しくて、何が間違いなのかなんて、

わからないということ。

厳密にいえば。

 

たぶん、わたしたちは「おおよそ」で

生きているんだろう。

 

可能性は無数に無限にあって

正解を求めていたら、定まらないから

 

「おおよそ」のところで生きていくしかないと

決めたんだと思う。

 

でも、それをいかにも

正解 正しいこと のように

あつかって とらえて 生きているから

苦しくなるんだと思う。

 

それを決めたのは昔のことで、

また、1人ひとりというよりは

社会というか、管理したい側の人たちなんだろうけど。

 

 

結論としては。

 

宇宙に、

正解 や 正しいこと というのはなくて。

 

それを決めようとするから苦しくなって。

 

でもそれが当たり前のように思っているし

そのように生きてきたけど。

 

それって、違うかもよ? ってこと。

 

 

1+1=2 って、ホント? というのと同じく

 

○○だから、△△△とされている方程式って、

ホント? ということ。

 

そういうのに縛られるのは、もうやめたいね!

っていうこと。

 

もっと、自由に生きたいね~

っていうこと。

 

あなたは、どうかな?

 

・ ・ ・ ・ ・

今日も、ありがとう!

では、またね!

 

 

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ElisaRivaによるPixabayからの画像

楽しいってなんだろうね?

こんにちは。 MIHOAです。

今日もお読みいただき、ありがとう!

・ ・ ・ ・ ・

 

 

ホントの自分で生きたら、

本当に楽しいがわかるのじゃないかと思うけど

 

わたしには、

実はまだ本当の楽しさがわかってない。

 

 

ていうか、

地球上のほとんどの人が

わかっていないんじゃないかな、と思う。

 

本当の楽しい って、

この世界でいうところの楽しいとは

 

ちょっと違うと思う。

 

 

似ているところもあるし、

共通する部分もあるんだろうけど、

 

根本のところが違うように思う。

 

強いていえば、

わきあがるところ、

根拠みたいなところかな。

 

 

そして、楽しい のあと

 

さびしくなったり

次はどうしようと思ったり

こんなんでいいんだろうかと思ったり

人とくらべたり

 

することはないだろうな~ と感じる。

 

 

 

つまり、この世界での 楽しい って

そういうものがある、

そういうものがのっている気がするんだよね。

 

余計なものと関連している、というか。

 

 

そういうものがないのが、

ホントの自分が感じる 楽しい なんじゃないのかな。

 

あとくされなく、

すがすがしくスッキリとか

ただただホワーンとか

そんな感じ。

 

 

そういうふうに

まったくシフトできるかはわからないけど、

そこに、たどり着けたらいいなと思う。

 

 

 

・ ・ ・ ・ ・

今日も、ありがとう!

では、またね!

 

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自分を責めるのは、前に進まないため

 

こんにちは。 MIHOAです。

今日もお読みいただき、ありがとう!

 

・ ・ ・ ・ ・

 

自分を責めるのって、簡単なんだよね。

 

 

自分を責めていれば

自分をかえりみている、いい人みたいだし。

 

他人が悪いなんて言わない、思わない、

人に迷惑かけない、慎ましい人みたいだし。

 

いいことしているみたいに感じて

つい、やってしまうけど。

 

 

残念ながら、

何も生まない。進まない。

 

そして、

ずっと自分責めのループにはまってしまう。

 

だから、

自分責めしている人は、

そこから抜けられなくなっているし、

 

自分責めしていることにさえ

気づけない状態になっていると思う。

 

 

自分を責めるって、

すごくかわいそうな、大変そうな感じだけど、

 

一方で、さっき言ったみたいに

いいことしているみたいに感じるから、

そこに酔っちゃったりもするんだよね。

 

日本では、

そういうのが美徳ともされてきたし。

 

甘美な魅力があるわけです。

それで抜けられなくなる。

 

 

だけど、ホントにそれって何も生まない。

前に進んでいかない。

 

逆に、前に進みたくないから

自分責めをしている可能性が高い。

 

 

自分を責めちゃうんです~~っていう人は

 

自分はなんで自分を責めるんだ?

責めることで、何のメリットがあるんだ? って

自分に聞いてみて。

 

なんていう答えが返ってくるだろう?

 

 

わたしも、自分責めすることが多くて

無意識化、常習化してしまって

気づくことができなかった。

 

気づいても、

なんで~~~? つって、

さらに自分を責めて立ち止まるだけで、

前に進むことができなかった。

 

立ち止まること、前に進まないっていうのが

自分責めの目的だったからなんだよね。

 

 

でも、もうそういう時代は終わった!!

 

前に進むために、望む先のために

歩みはじめていいときが来ているみたいだよ。

 

・ ・ ・ ・ ・

 

今日も、ありがとう!

では、またね!

  

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Free-PhotosによるPixabayからの画像

ホントの自分、ホントの人生のはじまり

こんにちは。 MIHOAです。

今日もお読みいただき、ありがとう!

 

・ ・ ・ ・ ・

 

自分が思っている、思っていた自分って

他人や環境がつくってきたもの。

 

どうしたって、

親や兄弟や先生や友達、まわりにいる人

そしてそのまわり=環境 の影響を受ける。

 

その環境を見て、感じて育つわけだから、

写しとって吸収して育つわけだから。

 

よく、鶏は見たものを親と思って育つというけど

 

それと同じで、

全然見たことない人やモノ、遠くにいる人やモノから

影響を受けることは、ほぼないはず。

 

 

「ホントの自分」って、

今の自分と思っているのを

1度すべて降ろしてから、の話なんじゃないか?

と言ったけど

 

livingwithjoy.hatenablog.com

 

 

これまでの自分は

他人や環境につくられたもの

=自分以外でできてきたもの、築いてきたものだから。

 

 

どれが自分か? 選別しているより、

もう全部降ろしてみた方がいいよ!という話。

 

 

でも、自分を降ろすって怖い。

 

これまで慣れ親しんできた自分

つまり、行動や習慣を手放すのは怖い。

 

恒常性=ホメオスタシスが働くから

必死の思いで手放しても、戻ってくるし。

 

 

だけど、これも習慣だから

つづけているうちに、慣れてくる。

 

そのうち、内側から、

あれ? わたしって、

これまでのような人じゃなかったかも!? って

気づいてくると思う。

 

 

アタマで考えて、

ここが違う! とか、合ってるかな? とか

選別しているより、はやい。

 

内側から、違う~ というのが出てくれば

ハッキリわかるし。

 

ああ、わたしって、

今まで思ってたのがホントじゃないんだ。。。。。

って。

 

 

ガックリくることもあるけど、

その一方で、

このタイミングを、この機会を

待っていた自分にも気づくと思う。

 

そうしたら、そこから

新たな自分というか

ホントの自分がはじまる。

 

新しい人生、ホントの人生がはじまる。

 

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S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像

 

・ ・ ・ ・ ・

 

今日も、ありがとう!

では、またね!

 

 

ホントの自分は、まったく別人かもしれない

こんにちは。 MIHOAです。

今日もお読みいただき、ありがとう!

 

・ ・ ・ ・ ・

 

これが自分、って思っていたものって

かなり違うんだな~~~~ って

 

あらためて気づいたこの数日。

 

 

「ホントの自分で生きよう」が

このブログからのメッセージ、テーマで

 

ホントの自分=魂の自分 と

定義してはいるんだけど。

 

 

「ホントの自分」というのは

本当に難しいというか、

誤解しているんだなあと感じた。

 

 

 

「ホントのと自分」がわからないから、

模索しているんだけど

 

それでも、その模索というのは

どこか自分のまわりという思いがあって、

そんなに遠くないところのつもりでいたけど、

 

実は、結構遠いのかもしれない。

 

 

今の自分と

まったくの別人ということではないけど、

 

今の自分を

少しいじったくらいのことではないのかも。

 

 

違うんだけど、違わないような。

 

 

いずれにしても、

今の自分というのを棚卸しするというか、

 

1度は、自分と思っているものを

すべて降ろすくらいの勢いなんだと。

 

そこから改めて自分を拾いなおす。

そんな感じ。

 

 

このブログにたどりついてくれた方は

たぶん、わたしのお仲間なので

 

大きく変わる人たちだと思うのだけど、

 

 

自分のすべてを1度おろしてみたら、

 

あれ? 自分って

全然違う方向に歩いてたんだわ!!!!

 

って気づくような感じなんじゃないかな。

 

 

ああ、思い出した。

自分はこっちの方向だった、って修正してから、

 

 

これまで逆方向に歩いて

身につけてきたものを、改めて拾って装着するような。

 

そういう変化をするんじゃないかな と。

 

 

そして、そうやって完成するのが

「ホントのわたし」なのかな~~~~

 

 

とりとめなく、つかみにくいお話だけど

 

なんとなく、ニュアンスやエッセンスを

つかんで感じてもらえたら幸いです。

 

・ ・ ・ ・ ・

 

今日も、ありがとう!

では、またね!

 

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